昼なお暗い沼のほとりで、長い金髪を揺らして白い男が振り返る。
「また来たのか、マリモ小僧。
 お母さんに怒られっぞ。」
ぞんざいな言葉と裏腹に、その時ばかりは心底嬉しそうに笑うんだ。

 

 

 

ラプンツェル

 

ハッと目を覚ましたおれは、まだ鳴る前の目覚まし時計を止めた。

こんなに早く目覚めるなんて、柄にもなく緊張しているのかもしれない。

 

ひどく懐かしい夢を見たもんだ。

子供時代を過ごした田舎の小さな村で、豪奢な屋敷に住んでいた初老の男と少年。

大人たちは、近寄っちゃいけないと口々に言っていたが、おれ達は隠れてよく会っていた。

違うな。

行ってはいけないと言われている森の中に、

あいつがいることがわかったから会いに行っていたんだ、おれが。

今思えば、あれがおれの初恋だったのだろう。

幼稚園で大きくなったら、機関車になりたい、と言って笑われたおれは、いじけて一人で遊んでいた。

その時、初めてあいつと出会ったんだ。

先生でさえ、機関車は無理だけど、運転手さんはどうかなぁ、なんて否定したってのに、

あの男は

「そいつぁ、剛毅だな! じゃぁ、鉄分採れよ。」と言ったのだ。

「鉄は食えねー」と返すおれに向かって、鉄は固ぇなぁって笑った。

「もうちっと大きくなって、違うもんに成りたくなったときに鉄の塊じゃ困っからな、何でも食えよ?

野菜も肉もおまえの体を強く、でっかくしてくれっからな。」

野菜嫌いでお袋を困らせていたおれは、その日の夕食で残さず食って、驚かれたものだった。

 

名前は無いと言う男がコックになりたかったんだと言ったから、

おれはいつも、コックって呼んでいた。  

 

おれは、でっかくなったぞ。

 

コック、おまえはどうしている?

 

 

コックは突然姿を消した。

屋敷には変わらず初老の男と、少年。

小学校に上がったおれは、森に行くこともなくなり、

新しい少年も森で遊んでいたのかは 知らないが、交流を持つことはなかった。

 

小学生の間に祖父母が亡くなり、祖父母に押さえつけられていた父親が失踪した。

お袋は七年間田舎の陰口に耐え、おれを連れ東京に舞い戻った。

コックと出会ってから、10年の月日が流れていた。

おれは あの頃のコックの歳になった。

 

物思いに耽っていたおれの耳に、けたたましい携帯の着信音が鳴り響く。

 

『ゾロ、おはよう。 

起きた? 

スポーツ推薦組は、面接って言っても形だけらしいから、落ち着いてね。

試験官の先生を睨みつけないようにね。 

道は大丈夫? 

車で送ってあげられれば良かったんだけど!』

珍しくテンパっている母親の声が流れる。

「それができねーから、こんなホテルに泊まってんだろ。」

『合格発表の翌日に迎えに行くから、あんまり動き回らないで待っててね。』

「中学卒業間際に補導されるようなマネはしねーって。

おれは大丈夫だからお袋こそ、気ぃつけて行けよ。」

 

中二の時、新宿で映画を見た帰り、山手線と間違えて総武線に乗っちまい

千葉まで行って以来、おれを方向音痴と思い込んだお袋は、

受験当日にかち合った海外での打合せを動かせないとみるや、

学校の目の前のホテルをおさえたのだった。

しかも、中学への報告も電話で良いこととし、母親が迎えに来るまでここに泊まるという。

呆れた過保護っぷりだ。

 

洗面、着替えを済ませたおれは、仕上げにネクタイを手に取る。

とうとう三年間結べるようにならなかったネクタイは、ダチが結んでくれた結び目を崩さぬように輪っかにそーっと首を突っ込み、細い方の先っぽを引っ張れば、馴染んだ形で襟元に納まった。

ブレザーを手に持ち、ポケットの受験票を確認して、朝食を採るべくラウンジへと向かった。

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