この善き日に

「女の子を泣かすたぁ、ご立派な趣味だなぁ?」

言葉と共に衝撃音が小さな東屋に走った。

彼にとって、男と女の言い争いの末、女が泣いていれば、男は蹴り飛ばすべき存在だった。

善悪の真実など関係なかった。

 

 

 

その島は宗教に満ちていた。

道を歩いていると、突然隣の老女が屈みこんで祈り始める。白い鳥が横切ったからだという。

店で買い物をしていると、突然店主が歌いだす。正午の鐘が鳴ったからだという。

森に入ろうとした船長は自警団に捕まった。何をしたわけでもない。ただ、その森が禁域だったのだ。薬草を求めた船医もしかり。

ほんの半日、島で自由行動をしてきた面々は申し合わせたわけでもなく、自ずと羊頭の船に戻ってきた。揃いも揃って疲労の色を濃くまとって。

 

「なんか、疲れたこの島イヤだ」
魂が抜けたような顔でへたり込むチョッパーをロビンがよしよしと慰める。
「宿も見てきたけど、どうする?なんか色々厳しそうよ。見てコレ。ルール表渡されちゃったわ」
食事は何時、風呂は何時、消灯は何時強制ではないが、と断り書きはあるものの写経の時間まである。
「明日はサンジの誕生日なのになぁ、良い店見つかればいいけど、食事中に読経とかされるのは勘弁だよなー。」

 

サンジを休ませるため、苦労して誕生日前にたどり着いた島だ。サンジが恐縮しながら楽しみにしてるのもわかっている。だが、各々の脳裏にサンジのご馳走が浮かんだ。その時、タイミングよく本人の声が戸外から響いた。

 

「ナッミすわぁーん!ロビンちゅわーん!おかえりですかぁ~?」

 

サンジは脚を引きずる男を支えながら帰船した。

「お、なんだ、みんな揃ってんのか。なら話は早えーや。」

 

サンジが持ち帰ったのは、その男と恋人に関する話だった。

先ほどサンジが見かけた二人は恋人同士で、娘は明日違う男と結婚させられるのだという。

ここは、結納金の金額で決まる昔ながらの嫁取りのルールが生きている島だった。しかし、良くも悪くもこの島は信仰に満ちていた。結婚を不当と思う若者の助けになるのは『駆け込み堂』。結納式さえ終われば親同士の金銭的なやり取りは終わる、契約完了だ。その後、岬のお堂に駆け込めば結婚自体が解消され、信徒には神が受け入れた真のカップルを祝福する義務が生じる。神前で結婚を誓ってしまうと一年間の禊が必要となるが、婚約中は解消するのも簡単。当然それをさせたくない新郎側は躍起になって邪魔をする。

それで手をこまねいているうちにとうとう式の前日となった恋人たちが久方ぶりに会えたのは、お堂への唯一の道である橋が老朽化で落ちたからだという。監視の目が緩んだすきの逢瀬だったが、道が無ければお堂へは行けない。諦めようとする男と、諦められずに泣く女こそ、サンジが遭遇した二人であった。女は直後に新郎側の手のものに連れ帰られていた。

 

「ふーん、老朽化ねえ。おれが見た橋は鋭利な得物で切り落とされていたがな」

「あら、やっぱり。随分タイミングがいいものね。新郎側がやったのでしょう」

「しっかし、クソマリモ。なんでそんなとこ行ってたんだ?」

「あ?町から船へ戻ろうとしたら通りかかるじゃねえか」

(いや、通らないし……)

初対面の男にまで迷子癖を披露している間に、ナミはこの島の地図と海図を広げていた。

「岬って言っても、お堂があるのは離れ小島なのね。」

「昔は地続きだったそうなんですが、今では年に一度の干潮期しか渡れません。」

「で、ナミさん。このお堂の下は渦潮が巻きまくってるんだが……ナミさんなら行けるだろ?」

サンジがニヤリと笑って、ナミを見やる。

「ま、見てみないとわかんないけど。なんで?サンジくんがお人よしなのは今更だけど、どうしてそこまで親身になっちゃってるの?」

へにょりと眉尻を下げたサンジが、チョッパーに治療されている男の脚を指す。

「ちょっと蹴ったら、こいつ折れちまってさぁ…」

「ば! ばっかじゃないの!? 何 素人さんに暴行してんのよ!」

「女の子泣かしてやがっから、ちょろーっと撫でただけなんだよぉ」

「力加減もできねーか、エロコック」

「てめえにだきゃぁ、言われたくねーな! クソマリモ!」

「ああん?」「やるか?」「やめなさい! このアホども!!」

ガツンと額を突き合せれば、間髪入れずにナミが制止する。

 

「こほん。借りがあるんじゃ、仕方ないわね。あんたと恋人をお堂まで連れてってあげるわ。いいわね、船長!」

「おう! おンもしろくなってきたぞ! 野郎ども! 新郎をブッ飛ばすぞ!」

「「「ちっがーう!!!」」」

 

メリー号のラウンジは一転、作戦会議の場となった。

 

「主役が連れてきたんだから仕方ねえけどよ、おめぇ、自分の誕生日わかってっか?」

ウソップが苦笑しながら、サンジを突っつく。

「ああ、そうだった! 明日の宴会、やっぱり店じゃなく船でやりてーんだけど!」

「え、なんで? 遠慮しなくていいのよ!?」

「ぬぁっみさーん、お優しい~! けどね~、明日から一週間断酒シーズンなんだって。酒関連の店は一斉に休業で旅行者も飲むどころか、買うこともできない。」

「はぁっ!?」

ゾロとナミの声がハモる。ニヤリとサンジの口角が上がる。

「さっきしこたま注文してきたから、もうすぐ届くぜ。」

「さっすがサンジくん!」

「どぅいたしまして~ん、ぬぁみさんのためなら~」

「サンジ! 肉は届かないのか!? 酒のない宴もダメだけど肉の無い宴はも~っとダメなんだぞ~!」

「おれがそんな手落ちをすると思うか? 肉は別に明日でも買えるけどな。」

 

決戦は明日と決まった。

一番、監視が緩む隙に花嫁を奪還、教会の裏手の崖からメリー号に飛び乗ったと見せかけ、お堂へ向かう。奪還するべき男は到底走れないので、身代わりが必要となる。また、花嫁も崖から降りられるとは思えない。そこで…

「ちょ!その役はナミさ、はダメか。でも、ロビンちゃん!」

「そうそう、私が船にいなくてどうすんのって話よ」

「私じゃ、背が高すぎるわ」

「ウソップは!?」

「ベール被っても、鼻でバレるわね」

「えええええええええええ」

「てめぇが撒いた種だろうが。往生際の悪ぃ」

「大丈夫!サンジ似合うぞ、きっと!」

「だよな! イシシシ」

無言で肩をぽんと叩くウソップが一番、優しかったかもしれない…。

その後、明日の宴料理の下拵えを始めるサンジの背中には、大きく『後悔』という文字が浮かんでいるのが、全員に見えていた。

 

 

 

 

リーン ゴーン リーン ゴーン

 

荘厳な鐘の音が島に響く。

結婚式の始まりを告げる、祝福の鐘だ。

 

控室には美しい花嫁。

肩を大きく開けた純白のドレスには、細かな銀糸の刺繍が煌めいている。尖った肩は小刻みに震え、細い首に巻いたチョーカーの飾りがチリチリと音を立てる。俯いた白い顔は大半がベールに覆われ、キッと噛み締められた紅をひいた薄い唇が覗く。毅然と伸ばした背筋がかえって、意に沿わぬ結婚だと知るものの胸を打つ。なだらかな胸元には生花があしらわれ、細く絞ったウェストはV字に入ったカットが更に細さを強調し、ふんわりと広がるスカートが長い足元を覆う。

 

介添人のノックで、室内には緊張が走った。

 

教会の扉が開き、介添人に連れられた花嫁が明るい外の陽射しを背負って現れる。

 

教会を温かい拍手と、聖歌隊の歌声が包まれた。

花嫁がバージンロードをゆっくりと歩き始める。両手で支えるブーケは大輪の百合。

 

バン!!

 

バージンロードの中ほどまで、花嫁が進んだ時、重厚な扉が開かれた。

現れたのは、厚いマントを身にまとい、フードを被った精悍な男。

 

「来い!」

 

響く男の声。

 

駆け出す花嫁。

 

騒然とする客席から、制止の手が伸びる。

払いのけ、蹴り飛ばし、花嫁が進む。

扉に控えていた介添人たちは、あっという間に男に殴り倒された。

ウェディングドレスが絡まり、よろける花嫁の元に男の手が届く。

 

抱き寄せ腰を支えると、花嫁が首に手を回した。

花嫁を抱えて走り出す二人に追手が迫るが、差は開くばかり。

崖から飛び降りた二人の姿を見とがめた新郎が海を覗き込むと、そこには羊頭ののんきな海賊船浮かんでおり、甲板には白いドレスの花嫁と、黒いマントの男がいた。

 

「くっそおおおおおおお!」

 

花婿の絶叫が轟く中、渦潮が逆巻く激流をものともせずに、メリー号は岬へと消えて行った。残ったのは、芝生に落ちた白いベール。

 

成り行きを見守っていた人々の中から、パチパチと遠慮がちな拍手が起きる。花嫁の本当の友人たちが、二人の将来を祝って沸き起こった拍手だった。

 

 

 

それを耳にしてパンと互いの手を打つ男たちがいた。

崖から、すぐ下の洞窟に飛び降りたウェディングドレス姿のサンジと、マントを羽織ったゾロだった。

「やったな」

「大成功!! あー、窮屈だった! おい、後ろ外せ!」

「脱いじまうのか?」

「ったりめぇだろうが! なんのために着替え隠しといたと……着てて欲しいわけ?」

すぅっと開いた首元をゾロの手が滑る。

「いっつも真っ黒のカッコばっかりしてるから、惜しいな。白似合うじゃねーか」

「ばーかっ。おれが一番似合う白いのはこれじゃねーの。後で見せてやるよ。……なぁ、脱がしたくねえ?」

サテンの長手袋をはめた手が、緑のもみあげを撫で上げ、頭を引き寄せる。

鼻を擦り合わせ唇を啄むと、どちらからともなく深く接吻けた。

サラサラと衣擦れの音が静まり、マントの上に横たえたサンジの裸身が妖しく乱れる。

「はぁ―っ……、この白か?」

「ん?」

「さっきの服より白い」

「なよっちいから嫌ぇなんだよ」

「いいじゃねぇか」

ヂュッと吸い上げると、そこここに赤い花が咲く。

「んっ……」

「すぐにマーキングできる良い色だ」

「ば、か……痕、つけんな」

荒い呼吸音だけが洞窟に響き、濃厚な空気が場に満ちていった。

 

 

 

 

夕焼けが広がる港に二人の男が佇んでいた。

まだ姿の見えない時から、船に、仲間に、何事も起きていないことを確信した勝利の笑みを浮かべて海を見ている。

そこに、激流と渦潮を掻い潜ったばかりとは思えない傷一つない小さなキャラベルが帰着した。

「「「たっだいまー!」」」

「なみすわーん!ロビンちゃーん!おっつかれさまー!すーぐご飯にするからねぇ!」

「こらー!サンジ!おれたちも頑張ったんだぞ!」

「あったりまえだろうが!てめぇらがさぼってたら蹴り殺しとるわ!」

「ひでぇ~」

手荒い再会を果たしたサンジは、すぐキッチンに向かうかと思いきや、男部屋へと降りて行った。

上がって来た姿を見た女性陣が目を丸くする。目にも眩しい真っ白のコックスーツだった。

「サンジくん、どうしたの!?」

「今日は特別だからね、正装?なんてね」

あはは、と笑い、手に持ったコック帽をくるくると回すサンジ。

その手にロビンが手を咲かせて帽子を取り上げると、金髪の丸い頭にそっと乗せる。

「素敵よ、コックさん」

後ろ甲板で錘を振り回していたゾロが何事かと顔を覗かせると、キッチンに向かってくるサンジを迎える格好となった。

ちょいちょいと指先を曲げ、ゾロをキッチンに招き入れると、サンジはどうだ、とばかりに胸を張った。

 

「どうよ。惚れ直すだろ?」

「ああ、悪くねえ。また脱がしたくなるな」

「あほ。これから宴会だ。後だ、後」

「おお、夜通し祝ってやるぜ」

「それ、おれの方がプレゼント取られてんじゃねえか?」

かもな、とゾロが飄々と答え、耐えきれずサンジがくすくすと笑った。その腰に手を回し片手を握るとゾロがサンジの瞳を覗き込む。

 

ん?と首をかしげる目の前で、ゾロは取った手にキスを落とした。

「誕生日おめでとう。てめぇが生まれてここにいることに感謝する」

 

 

fin

藍月様のサン誕企画にDLF作品として提出しておりました。引き続き、こちらはDLFと致します。